別れ
祖母の入院する病院の看護婦長さんから「肺が機能していない。一見、元気に見えるかもしれないが、もし容態が変わることがあれば長くはもたない。自宅から最短何分で病院まで来れるか」という問い合わせがあったのが2月末。私たち二人が揃って会いに行ったら、祖母が逆に自分の容態を心配するだろうということで、3/12に予定していた祖父の17回忌に参加するのを口実に3/13に祖母のお見舞いに行く予定だった、のだが東日本大震災で新幹線がストップしてしまった(同じタイミングで両方の祖父母の心配をすることになるとは思わんかった)ため、一週間遅れで祖父のお墓参りと祖母のお見舞いへ。

着いた時、さらに一段と小さくなった祖母は眠っていた。頬をピタピタして起こすと、「来てくれると思わなかった!」ととても嬉しそうな顔に。
会うのは年末以来だが、今回は看護婦さん達の気の遣いようが全然違い、祖母があまり良くない状態にあることはすぐ分かる。「車椅子で出かけてもいいけど、血行が悪いから30分ぐらいしか無理だと思う。30分も無理かもしれない。手足の色を注意して見ているように」という指示を受け、いつも通り一階の来客用スペースで話す(祖母は耳が悪いので、私たちは紙に言いたいことを書き、祖母はそれを読んで話すという方法で会話する)。
祖母が、私が中学を卒業した時に連れて行ってくれたニュージーランド旅行(祖母が後に「人生で一番楽しい旅行だった」と言い続けたぐらい素晴らしく、私が高校で一年間、海外に留学するきっかけになった旅行)の最初の訪問地で、先の地震で崩れたクライストチャーチの大聖堂の話や東日本大震災の話、病院で自分をいじめる若い看護師への対応とグチを、紙パックのオレンジジュースをズズッとすすりながらひとしきり話した後に、祖母はここ何年か口癖になっている「早くお迎えがきてほしい」をまた言った。
2003年9月から始まった入院生活は既に8年目に入っており、自宅での寝たきり生活となるとさらに5年、車椅子での闘病生活も加えるとさらに数年がプラスされる。祖母は入院当初は家に帰りたがっていたが、この頃には自宅での介護が無理なこと、よって自分が死ぬまで病院を出られないことを理解していた(そもそも、祖母が入院したのは、長く祖父そして祖母の介護をしていた母が身体を壊したことによる)。昨年1月の妹の死や、その前の大学来の親友の孤独死(浴槽で死んでいるのを、死後数日後に弟さんが発見した(ダンナさんはその数年前に死去))で気落ちもしていた祖母がそう言いたくなる気持ちは分からないでもない。こういった病院には、死を待つ人しかおらず、希望なんてないので余計にそう思ったのだろう。

ダンナが「そんなこと言ったらcheeriotがまた大泣きしますよ」と答えると、
祖母は「アンタがいるから大丈夫。私に代わってこの子をどうかよろしくたのんます」と言って頭を下げた。
祖母の手足の色は1時間が過ぎてもきれいで、元気も良く、まだ全然大丈夫な感じだったので、「また来るね。身体、気を付けて」と言って病院を出たのだけど、結果的に、これが最後になってしまった。
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by cheeriot | 2011-03-20 23:59 | FAMILY
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